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2013年1月

2013年1月27日 (日)

今度は野球で日本一を目指せ。

 宮崎の鵬翔高校が全国高校サッカー選手権で日本一になり、去る26日(土)宮崎市で盛大な祝勝パレードが行われました。たくさんの子供達が群がり、3万人を越える市民が熱狂的に歓迎し、サッカーブームを再認識しました。私も1月14日午後2時からの決勝戦を楽しみに、当日行われた日本武道館の稽古始めを中座して駆けつけましたが、折からの大雪で延期となりました(帰りが大変でした)。

 改めて19日に日帰りで上京し、家内と東京後援会の女性たちと一緒に国立競技場で声援を送りました。私は自分が奇跡的(?)に当選したこともあり、宮崎の鵬翔高校も優勝するのではないかと心中密かに期待していましたが、見事に期待に応えてくれました。1回戦、2回戦PK勝ち、3回戦3-1、4回戦3-1、そして準決勝も後半に追いついてPK戦勝利でした。決勝戦も先行されては追いつき、先行されては追いつきで2対2、延長戦でも決着がつきませんでした。私はこの時ほとんど勝利を確信しました。

 宮崎県民は諦めが早く、粘り強さに欠けると言われてきましたが、高校生の先行されても最後まで諦めない、我慢強さと集中力に、宮崎県民も変わったと実感しました。2年前に発生した口蹄疫で29万頭もの家畜が殺処分されましたが、それを乗り越えて、昨年は5年に1回開催の全国肉牛共進会で2連覇を果たしています。

 尚、嬉しかったのは、昨年紹介したピーターパン杯のOBがゴールキーパーの浅田君はじめ3人もいたことで、今宮崎ではサッカーやゴルフなどでもジュニアの養成に力を入れています。野球も昨年、旧大淀高校で甲子園に出場し、阪神タイガースでピッチャーとして活躍し、長年、鵬翔高校で教鞭をとっていた入江淳さんが中心となって、甲子園で全国制覇を目指す野球塾が立ち上がったところです。

 私も中学時代、野球をやっていて、政治家になってから夏の甲子園で平成3年と平成17年の2回、開会式で挨拶させてもらった経験もあり、宮崎の高校が甲子園に出場した時は寸暇を惜しんで応援に行っています。私は大学でも野球部に入り、神宮球場でプレイすることを夢見ていましたが、昭和35年、高校2年生の時、旧社会党の浅沼委員長が山口二矢少年に演説中、壇上で刺されるという事件が起こりました。ニュースの解説者が武道の嗜みがあれば少なくとも一撃は避けられたというのを聞いて、当時から政治家志望だった私は東大に入ってからは、野球を諦め、空手と合気道を練習しました。(今、空手は名誉6段、合気道3段)その東大に元読売巨人軍の桑田真澄氏が特別コーチとして招かれたとニュースで聞きました。野球でも頭を使えと東大生に諭していましたが、万年最下位の東大が6大学で優勝する日が来たらそれこそ奇跡です。
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※家内と国立競技場にて


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2013年1月22日 (火)

日本にとって分水嶺の年

 寒中お見舞い申し上げます。皆様には新たな気持ちで新しい年をお過ごしのことと拝察致します。年末からブログの更新を怠ってきました。比例復活とはいえ当選できたことと安倍内閣の誕生でこれで一安心というホッとした気持ちがありまして、年末年始は来し方、行く末を考えながら静かに過ごしておりました。

 思えば、前回の落選以来3年4ヶ月、子供が中学や高校を卒業する程の長い年月でした。私が懸念した以上にひどい民主党政権に怒りをおぼえながら、何も出来ない自分の無力さに空しい思いを抱いて過して来ました。しかしこのままで終るわけにいかないと再起を誓い、選挙の原点に立ち帰って一軒一軒、戸別訪問を続けてきました。

 その間、自民党から除名され、たちあがれ日本、太陽の党そして日本維新の会と所属党も変わり、支持者の皆様にご心配をかけました。総選挙の結果は、小選挙区で3位の得票ながら、九州比例で復活当選するというハラハラの当選でした。

 私が奇跡的に当選できたのは、まだこの私にやり残したことがあるということだろうと思います。幸い、安倍内閣が誕生し、世の中がパッと明るくなったような気がします。株価も上がり円安も進んでいます。しかしまだ口先介入の成果に過ぎません。これから、実体的に景気浮揚の諸施策を実行することにより、早く景気を回復し、経済を成長路線に乗せなければなりません。一番大切なのは、いかにして財源を確保するかだと思います。具体的な経済再生の方策とも併せ、安倍内閣を側面的に応援していきたいと考えています。

 また、今年は中国や北朝鮮、韓国との関係も厳しくなってきます。特に中国は、着々と尖閣列島奪取に向けて実戦的な行動と合わせ神経戦も展開してくるものと思われます。領土を守る、日本を守るという、一丸となった日本人の覚悟が求められています。

 この平成25年という年は、後から振り返って、日本にとって極めて重大な分水嶺であったと認識されることになると思います。私も政治家としての第二ステージに立たせて頂きました。どこにも負けない故郷宮崎づくり、かけがえのない祖国日本の再建の為に一身を燃焼させる覚悟で頑張って参ります。どうか今年も宜しくお願い致します。あわせて、皆様のご健康とご家族のご多幸を心から祈念申し上げます。

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