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2012年11月

2012年11月30日 (金)

プロフィール動画アップしました。

事務局です。プロフィール動画をアップしましたので、ぜひご覧ください。

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2012年11月21日 (水)

日本維新の会から宮崎一区に出馬へ

 衆議院の総選挙が12月4日公示、16日投票と決まりました。反日政党民主党政権が日々国益を損ねていましたから、退陣の日が近づいて来たことは本当に良かったと思います。二転三転しましたが、私は日本維新の会から出馬することになりました。

 橋下氏と組むことに懸念を持たれる方もおありでしょう。 私は橋下氏と直接会ったことはありませんが、私が日教組発言で閣内の石破大臣、塩谷文科大臣等から「中山大臣は間違っている」と批判され、四面楚歌の時、唯一「中山大臣は正しい」とエールを送ってくれたのが、当時大阪府知事の橋下さんでした。日教組の勢力が強く、子供たちの学力が低い大阪の教育事情をよく知っている橋下さんだったからです。1ヶ月後、「日本はいい国だ」と論文に書いた田母神さんをクビにした石破さんが今、自民党の幹事長です。自民党には他に人物はいないのかと嘆かずにはおれません。

 私は今、「国想う在野議員の会」14人の会長をしています。今、残念ながら自民党の愛国の想いの強い人たちがたくさん落選しています。だから自民党は民主党に近いリベラル系の人たちに牛耳られて来たのです。今度安倍さんが総裁に選ばれたのは良かったのですが、石破氏を幹事長に任命せざるを得なかった安倍さんが気の毒です。

 他党やマスコミは小異を捨てて大同につくことを盛んに批判しています。自民党や民主党の方がもっとバラバラなのにと思います。特に、立ち上がれを支持してこられた方の中には保守色が薄れてしまうことを心配されておられる人も多いのではないかと思います。しかし、橋下氏は従軍慰安婦についてもはっきり反論しているように(その点では河村名古屋市長も同じ)、しっかりした歴史観、国家観を持っています。何より、国旗、国歌についてしっかり学校教育で指導していることに共感します。

 私は、立ち上がれ日本がたち上がれなかったのはマスコミが保守を嫌い、話題に取り上げなかったことが最大の原因だったと考えています。残念ながら、今はマスコミ、特にテレビへの露出度が選挙結果を大きく左右します。私は前に書いたように、橋下氏の発信力に期待しています。マスコミが取り上げざるを得ない橋下氏のキャラです。更に、天下の朝日を屈服させたように、決断力、突破力もあります。

 投票日にかけて石原、橋下両氏が全国を駆け巡ると維新旋風が吹き荒れることでしょう。選挙の結果たくさんの新人が当選してくるでしょう。維新の公認者を見ると立派な人物が多いですが、何しろ新人議員ですから、私共ベテランが教育係になって一人前の政治家に育てなければなりません。

 既に政策面でも、脱原発やTPPについてたちあがれの路線に近づいています。橋下氏は弁護士ですからケンカには強いですが、妥協することも知っている現実派の政治家だと思います。

 私は、太陽の党結成記者会見で、石原さんが「太陽の党は一過性のものだ」と言われたのには驚きました。その後の懇親会で、私が石原さんに「宮崎は太陽の国だから太陽の党がいい、宮崎では「みやざき太陽の会」という女性後援会ができているのですよ」と言ったら、「いや維新でいいのだよ」と言われました。そしてその通りになりました。石原さんのリーダーシップ、カリスマ性には立ち上がれのベテラン議員も太刀打ちできないようです。

 それにしても京都の会議で平沼さんたちはよくぞ橋下さんの毒舌(?)に我慢したものだと感心しました。これもかけはし塾の若手を思ってのことでしょう。私は石原さんがどうしてそんなに橋下氏を買っているのかと不思議に思っていましたが、話を聞いて納得しました。石原さんは自分が東京都知事としてやったこと、排ガス規制や都の会計に複式簿記を採用したこと、教育改革を強力に進めたことを橋下知事が大阪でまねて改革したことを高く評価しています。80歳と41歳と親子ほどの年齢差ですが、自分の子供以上にかわいいみたいですね。 

 これからこの2人を中心に平成の維新を行います。地方分権も大切ですが、石原さんがいうように「強くしたたかな国」であることが大前提です。私は財政や経済政策、そして教育改革で日本再生に貢献したいと考えています。

 もちろん政治力が地に落ち、景気が落ち込んでいる宮崎の浮揚のために、中央との太いパイプを利用して地元の活性化の為に働くことは我田引水と言われても当然のことです。

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2012年11月18日 (日)

「中山成彬」総決起大会のご案内

 霜秋の候、皆様には益々ご清祥のこととお慶び申し上げます。
 
 さて、衆議院が解散され、いよいよ選挙戦に突入することになりました。
 
 中山先生は新党「日本維新の会」公認候補として宮崎第一選挙区から 出馬されます。落選以来選挙区内をくまなく戸別訪問され、直接皆様にお目にかかってお願いをされてこられました。

 これからは、中山先生をご支持いただいております皆様のお力がどうしても必要です。何とぞ再起を期す中山成彬先生の心中をご理解いただき、中山先生を激励し、必勝を期すために結集していただきますよう心からお願い申し上げます。

 大変ご多忙のこととは存じますが、友人知人お誘い合わせの上、是非ともご参加くださいますようよろしくお願い申し上げます。

〈日時〉 
平成24年11月27日(火) 19:00より

〈場所〉 
宮崎市民文化ホ-ル 大ホ-ル(1F)
宮崎市花山手東3丁目
TEL0985-52-7722

〈連絡先〉
中山成彬事務所
TEL0985-26-8456
FAX0985-31-1648

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2012年11月15日 (木)

新党結成そして解散へ 風雲急を告げる

 13日午後、東京ニューオオタニで石原新党の立党記者会見が行われ、党名は「太陽の党」と決まりました。そして翌日、県庁の記者クラブで新党結党の記者会見を行っている時に、党首討論で突如、野田総理が16日解散に言及しました。

 いよいよです。前にも書いたように野田総理は、ウソツキ呼ばわりされることに耐えれなかったようです。野田総理は、鳩山、菅氏と違ってやはり本当の日本人だなあと思いました。なにより、17日からのASEAN会議で留守の間に、民主党内で起こるであろう野田降しの機先を制するという事もありますし、第三極の大同団結が整わないうちに解散総選挙を行おうという意図もあったのでしょう。

 選挙恐怖症に陥っている民主党内はてんやわんやの騒動になっています。沈もうとする船から逃げ出そうとするねずみが一杯います。逃げられなくて、あきらめているねずみも多いようです。政権交代して3年余り、日本の国益を損ね、日米安保体制をガタガタにし、日本に対する信頼と評価をどん底に落した民主党に対する天罰が下ります。

 3年余りで、国民も相当覚醒してきました。今の日本の置かれた立場、対外的にも国内的にも危機に瀕しているという認識を持つ人々が増えたのはなによりでした。

 しかし、地元を廻って、自民党が信頼を回復しているとはとても思えません。どこを頼りにすればいいかという国民の思いをしっかり受け止める為に「太陽の党」が立ち上がりました。日本再生を懸けて、強く、したたかな日本、そして優しい政治を実現しなければなりません。私が7年前に教育改革の旗印として掲げた「甦れ日本」を今思い出しています。

 石原さんは小異を捨てて大同に着こうと必死に訴えています。他党やマスコミの中には政策の違いをことさら指摘する向きもありますが、例えばTPPでも、民主党や自民党の中も大きく考えが違っています。

 私は、日本を護る、日本人を守る、国民の生活を真に考える保守勢力の大同団結が必要だと考えています。政治信条と歴史観、国家観を同じくする仲間達が、結集してくれることを期待しています。

 ところで今朝、女優の森光子さんの訃報が報じられました。私は森光子さんの大ファンでした。「放浪記」のちょうど2000回記念興行を見せてもらいました。そして、町村信孝さんと一緒に総理大臣の表彰状を舞台の控えの間でお渡ししたことを覚えています。初めて間近に素顔を見ましたが、驚くほど細身で小柄でした。しかし、90歳近いお年なのにとても若々しく、かつチャーミングでした。 

 戦前、戦中、戦後を生き抜いてこられました。戦中は兵隊さんの慰問に海外まで行かれたり、戦後は不遇な時代もありました。正当に評価されず悔しい思いをされていた時期もあったようです。しかし、そうした試練が晩年に大輪の花を咲かせたように思います。ご冥福をお祈りします。

 放浪記の林芙美子が通ったという土道小学校を文部科学大臣として訪問したことがありました。学校への登り坂を歩きながら、不遇の中に明るくしたたかに生きた林芙美子の生涯を思い出していました。

 3年半の雌伏の後、いよいよ私にも又、表舞台に飛躍する機会が廻ってきました。これまで私のブログを訪問された方、そしてコメントやメールでご激励を下さった皆様に改めて感謝申し上げます。投票日まで後一ヶ月、背水の陣で頑張りますのでご支援を宜しくお願い申し上げます。

 記者会見で石原代表は挨拶の冒頭、戦争で夫を亡くし、一人息子をかかえて再婚もせず戦後を生き抜いてこられた90歳を越える未亡人の歌を紹介されました。「この国のかく醜くくもなりぬれば捧げし命ただ惜しまるる」石原さんの心情を痛いほど感じました。

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2012年11月12日 (月)

女性後援会「みやざき太陽の会」結成へ

 本日(12日)13:30からJAアズムホール会議室において、中山成彬を支援する女性後援会の発起人会が開催されました。150人の出席を得て、会長に国富町議の渡辺京子氏を選出、副会長に岩元サチ子氏、日髙美惠子氏、小野けい子氏、 幹事長に前宮崎県副知事の坂佳代子氏、副幹事長に福田美代子氏、事務局長に川﨑由美子氏が就任し、次期総選挙に向けて女性後援会を結成し中山成彬の必勝を期することとなりました。

 後援会名は4つの候補名から挙手により「みやざき太陽の会」と決まりました。今後総選挙に向けて後援会員を増やし、最終的には1万名の会員を擁する、一大後援会を目指すことも決議されました。

 年末、遅くとも来年初めの総選挙が予想される中、私にとっては大変心強い限りです。毎日戸別訪問を続けており、旧宮崎市内は青島地区を残すのみとなりましたが、これからも公示までは郡部を徹底的に廻ることにしています。

 ここまできて、東京から連絡があり、明日午後「石原新党」の立上げの記者会見が開かれることになりました。私も午前中地元を廻って昼には急遽上京することにしました。いよいよ戦いの火蓋が切られた感があります。

 野田総理もいよいよ腹を固めたみたいですね。やはり本会議場で「ウソツキ」と黄色い声で連呼されることが相当こたえているようです。「近いうち」という日本語の信頼性が保たれて本当に良かったと思います。総理にとっても「近いうち解散」「嘘つき総理」が今年の流行語大賞に選ばれる可能性を回避できてよかったのではないでしょうか。

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2012年11月 5日 (月)

やっぱりやらかした暴走おばさん

 田中文科大臣が、秋田公立美大など3短大の4年制大学移行を不認可とした。大学の数が多いのはその通りで、私も文科大臣の時、折から規制緩和の大合唱の時代だったが、大学の認可は抑制するべきだと言ってきた。しかし、時代の要請に合わせて学科を再編したり、短大を4年制にするなどの認可は弾力的に行っていいと思う。 
 田中大臣の場合は唐突に、しかも大学設置審議会の答申が出ているのにそれを無視した。一体このことの影響をどう考えていたのだろうか。文科省の大臣秘書官や事務方のトップ達は「暴走おばさん」を止められなかったのだろうか。

 大学側は新設にあたり文科省の事務局とすり合わせながら、感触をつかんで校舎の新改築等に投資してきている筈だ。教授陣の選考も大変なことで、多分今の仕事を辞め、移籍することが決まっている教授候補者もいる筈だ。受験しようとしている高校生も困っているだろう。在校生で4年制へ進もうと思っている人の進路の問題等、一人一人の人生に大きな影響がある。

 私も20年程前、文部政務次官の時、地元の宮崎公立大学と宮崎国際大学の新設について相談を受けたので、大学新設に関係する方々の苦労がよく理解できる。それだけに突然はしごを外された人達の当惑、怒りが目に見えるようだ。

 まだ少し時間がある。早く総選挙を行い、政権交代により、新内閣で不認可を認可に変更すべきである。そのためにも、一日も早い解散、総選挙が望まれるが、民主党の選挙恐怖症は極限に達している。野田総理が「近いうちに解散」と言ったのは8月の時点であった。政治家の、しかも総理大臣の言葉は重い。大げさに言えば政治家に対する信頼を超えて「日本語に対する信頼性」にも行き着く。騙される方が悪いという日本人らしからぬ民主党議員達であるが、野田総理が本当の日本人なら、日本語という「日本の文化そのもの」を守るためにも、一日も早く解散を決断すべきである。民主党には第三極の体勢が整わないうちにという戦略的なことを考えられる幹部はいないのか。民主党の一部にささやかれている、総辞職、代表交代などという道を選んだら、それこそ民主党は壊滅だ。

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第6回宮崎未来塾講演録(平成24年9月10日)

講師 
宮崎公立大学理事 
長友武先生 

演題
「日本人の心」      

 皆さんこんばんは。只今から私は中山塾長先生にも負けないくらいのファイトで楽しい話、また涙が出る話、日本人とはどういう民族であるかという話を突っ込んでお話したいと思います。

 最近言われる言葉に、国際化とかグローバリゼイションとか、世界の中の日本とか、そういうことをよくマスコミも政治家の先生方も言われます。私は大学に入る時に国文学にするのか英文学にするのか随分と迷いました。しかし私はやはり日本人だから日本文学を一生懸命研究してみたいと思いました。大学時代楽しかったのは好きな国文学の勉強ができることでした。大学の側の喫茶店で一日中本を読んだりしておりました。大学の正規の授業にはあまり出ず、自分の好きな文学の世界に没頭していました。大学紛争の時代でしたから、喫茶店だけが安らぎの場所で図書館も大学封鎖されて入れませんので自分の下宿と喫茶店を行ったりきたりするような大学生活でした。

 私は国文学をずっと研究してみて、日本人というのは、素晴らしい民族であると思っています。1300年前に万葉集は作られています。宮崎は古事記編纂1300年というのをやっておりますけど、それから後にまとめられています。万葉集は各地に残された歌を大伴家持という、越中の知事をしていた人が全部編纂したんです。中には天皇の歌から下はお百姓さんの歌まで約4500首まとめられております。ですからおそらく世界の中で初めての国民歌謡なのです。4500首の20倍位の歌が残されていて、その中から選んだわけです。

 私が今日資料として提示した、巻の20に防人という人達の歌があるんです。防人というのは防ぐ人と書いて、農民兵士のことです。名もないお百姓さんたちが急に兵隊に行きなさいといわれて行った人達の歌がこの歌なんです。1300年前の日本人の考え方と、昭和万葉集という、昭和に講談社から出された約17巻の本にある、戦争未亡人の歌とか、子供を戦争で亡くした親の歌とか、思い出深い歌には共通点があるのです。万葉集秀歌、これはハンディーな、旅行なんかにも持ちやすいんですけど、その前は、万葉集の原本といいますか、万葉集の代匠記、分厚い本を持ってウロウロしていた時代があったわけです。それほど万葉集は国民に愛されて読まれています。私はその巻の20の防人たちの歌や古代の万葉集と、昭和に出された万葉集から兵士達、昭和の防人達の歌を選び出しましてその比較を長い間研究してきました。日本人の心はそこにあるような気がするんです。

 最初の歌は、万葉集の歌で、「大君の命かしこみ出でくれば吾ぬ取りつきて言ひし子なはも」という防人の歌です。これは防人の兵士がお父さんなんですね。子供が二、三人いるわけです。天皇の命令で、兵隊にいかなければならない。しかし、自分に抱きついて、お父さん行かないでと泣く子供のことが心配でなりませんと、すなわち公に対する義理と私的人情の中での苦しみが分かる歌です。

 防人とはどういう人達かというと、福島県に勿来(なこそ)という町があります。ここは昨年の原発の事故に近い所で、勿来の関という所があるんですが、芭蕉の「奥の細道」にも出てきます。これ以上は行けません、「な来そ」というのは来てはいけませんよという、「な~そ」という、これ以上北には行ってはいけませんよというわけです。すなわち北のほうにはアイヌを中心にした異族がいるわけですね。ですから命が危ない、だから勿来の関というのは、その辺が奈良の王朝が支配した北限なんです。南の方はだいたい都城から熊本県境あたりが境で、それよりも南には、私の先祖でもあるんですが、薩摩隼人という絶対権力に服従しない民族がいて、奈良の王朝が派遣した県知事を公開処刑しております。困ってしまった中央の奈良の政府は、大宰府を作るんです。その主な目的は薩摩隼人の鎮圧、大宰府の長官の仕事は薩摩をいかにやっつけていくか、薩摩征伐の為の役所でもあったわけです。

 そういう現実があったわけですよね。それで、急にお百姓さんが招集されて行かなければならないわけです。「今日よりは顧みなくて大君の醜の御楯と出立つわれは」、今日からは妻や子供のことは考えない。天皇の強い楯となって自分は出征しますという防人の歌です。私の伯父は中国戦線に行ったんですが、この歌をノートに書いて持って行っておりました。この歌は天皇の軍隊になって自分は頑張るんだという強い決意を歌った歌です。「わが妻も絵に描きとらむ暇(いとま)もが」例えば今日召集令状が来て、明後日か明々後日に行かなければならないという短い時間に若い二人は別れを惜しむわけですね。ですからわが妻を絵に描き取るだけの暇もがと、愛する妻を充分に絵に描き取るだけの時間があったらなあと。「旅行く吾は見つつ偲はむ」というのは、旅行く私は岩陰で妻の似顔絵を見て偲べるのになあと言ってる訳です。今の時代は携帯に写真が残せますからとても便利がいいんですが、この時代の人はそういう風に愛する妻のことを考えておったということがわかる訳です。

 次の歌は「唐衣袖に取りつき泣く子らを置きてぞ来ぬや母なしにして」。母のことを万葉集ではオモと呼ばせています。オモは古代の朝鮮語です。ですから唐衣袖に取りつき行かないでと泣く子ら。これは最初の歌と同じように、お父さんに抱きついた子供を振り切って自分は防人に来ました。私の家には子供達のお母さんであり私の妻は死んでいない、だから心配で心配でならないというお父さんの気持が歌われています。次の歌は「防人に行くは誰が背と問ふ人を見るがともしさ物思ひもせず」。私の夫に赤紙がきて、私たち夫婦はとまどっている。防人に行くは誰が背というのは一体どこの夫、万葉集では背は必ず夫です。夫から妻のことを言う場合はイモ、妹のイモ、愛する妻という表現をしております。「誰が背と問う人を」というのは井戸端会議なんかで無責任におしゃべりをしている人を見るのが「ともしい」というのはジェラシーを感じると、腹が立つと、自分の愛する夫にきて、自分たちは悲しみに暮れているのにという歌がこの歌です。

 1300年前の我々の先祖である日本人の感じてきたことは何ら私達とは変わりません。次の歌が昭和万葉集という、私は永遠の名著だと思うんですが、なぜか講談社はこれを印刷してないんです。いろんな人達の歌が入っております。その中にシベリア抑留兵士の人達の歌があります。終戦後、約5、60万人の男性がシベリアに連れ去られてその一割が亡くなったり、栄養失調とか強制労働とか精神的な鬱状態になって自殺した人もおりますが、その抑留兵士が歌った歌です。中村泰助さんという人が歌った歌が「新米を飢えたるわれに炊き給ふ母を夢見て夜半に泣きたり」。夜、お母さんが自分に新米を炊いてくれる夢を見た、お腹が空いているからもうたまらないわけですね。食べようと思ったら夢だった、夜中に泣きましたという歌です。隣の歌は「シベリアの奥地に夢見し我が妻を帰りてみれば弟の妻」。間違った戦死の知らせが家族の元に届いて、そして本人が帰ってみたら自分の愛する妻は弟の妻になっていた。そういう話が日本全国至る所にあります。

 次の歌は、鹿児島県出身の代議士で防衛庁長官や総理府総務長官をなさった山中貞則さんという、農林畑のもみ上げのきつい、そして男らしい、そして頼りになる、中山先生もとっても頼りになりますが、同じような頼りになる代議士さんが末吉におられました。その人の歌われた歌です。「いささかの愛惜を断ち焚き捨つる万葉代匠記の炎よ赤し」この人は顔に似合わず、顔は強持ての人だったですが、夜は万葉集をよく読んでおられた。山中先生は万葉代匠記という分厚い万葉集をいつも手許に置いておられた。しかし荷物になるとか、証拠が残るということで焼きなさいという上官の命令があって、自分は焼きたくないと思いながら愛惜を断ち、「焚き捨つる万葉代匠記の炎よ赤し」。一体自分はいつ故郷に帰れるんだろうかという気持を山中先生は歌っておられます。次の歌は「何事も残すなの命令にたらちねの母の便りは拝みて焼きぬ」と。何も残してはいけないという命令がきたけど、お母さんの手紙は焼きたくない、どうかお母さん許してくださいと言って焼いた兵士の歌です。万葉集で、お母さんに関しては必ず「たらちね」という枕言葉が出てきます。次の歌は「妻の写真持ちて行かむをためらへり奉公袋ととのへし夜半」。妻の写真を持っていこうか持って行くまいかと、しかし持って行くと上官から叩かれたりするだろうと、どうしようどうしようとこの人は奉公袋に密かに奥さんの写真を入れている姿が分かります。まるで古代の万葉集の三番目の歌、「わが妻も絵に描きとらむ暇もが旅行く吾は見つつ偲ばむ」この歌と全く相共通する歌がこの昭和万葉集の中にもあります。

 日本では戦争未亡人が16万8500人誕生しています。私の世代のお母さんがそうなんです。私は昭和20年7月8日生まれですが、私の同級生には両親が結婚して2ヶ月で、お母さんが身ごもって兵隊に行ったので父の顔を知らないとか、そういう友達がいくらでもおりました。最初の歌は「祭壇に届かぬ吾子の手を取りて戦死の夫に焼香をさす」。何が何やらわからない1歳か2歳の子供に、お父さんの仏壇に向かって焼香をさせているお母さんの姿が読み取れる訳です。次の歌は「遊びいる子を呼び寄せて手を握り静かに父の戦死をば知らせぬ」。4、5人の子供が庭で遊んでいると、役場から、あなたのご主人が亡くなったという知らせがきた。それを受けたお母さんはドキッとして泣きたいけれども気持を強くして子供達にお父さんの死を話しておられる姿が分かります。次の歌は、愛する夫が死んで三人ぐらいの子供たちをどう育てたらいいかわからない、「たはやすく死をねがふ心をいましめて子らの寝顔に口よせぬあはれ」。一家心中しようと、たやすく死を選ぼうと、そういう気持を戒めて自分で自分を叱って、子供達の顔に接吻をしている若いお母さんの姿が浮かびます。   

 次の歌は「復員の噂聞きたり真夜中の小さき音にも胸とどろかす」これは、夫が生きて帰る喜びを歌っているんでしょう。次の歌は「帰り来ぬ人と思へど復員の似たる姿に心ときめく」。もう自分の夫は戦死したが、駅などで他人の後姿を見ると私の夫ではないかと思って近づいていくという優しい妻の気持が歌われております。次の歌は「夫帰る友らをねたむにあらざれど独り寝る夜は胸痛きかも」。友達のところにどんどん夫が帰ってくる、しかしそれをねたむわけではないけど、夫を待っている私はとっても辛い。この人は夫が亡くなっているんですね、そういう気持が謳われています。

 あの戦争で命を国に捧げた約7000人位の特攻隊員の英霊に対して、私はいつも深い尊敬の気持を持っています。最初の歌の永峰肇さんという人は、皆さん方も知っておられるかも知れませんが、住吉の出身で、弟の重信さんが兄さんの霊を守っておられます。この人は日本で初めての特攻隊員です。敷島隊といいまして、昭和19月の10月25日にマバラカットというフィリッピンのヒナツボ火山の側の基地から飛び立って、アメリカの空母セントローズを撃沈しています。だからその時に亡くなっていますが、その人が弟の重信さんに最後に出された手紙の中に「南海にたとへこの身は果つるともいくとせ後の春を想へば」。立派な辞世の歌だと思います。愛国心について教育基本法で、国を愛する心を涵養するというならそれなりの教科書が必要だと思います。特攻隊員の歌として「みんなの雲染むはてに散らんとも国の野花と我は咲きたし」(髙崎文雄さん)。この人は日向市出身でフィリッピンで亡くなっています。この歌の碑が日向市の馬が背公園にあります。

 愛国心について教科書はどう扱っているのでしょうか。教科書選定は教育委員会が選定をしていくわけです。しかし、教育の世界はどうしても前例踏襲といいますか、昭和30年代の、日教組の強かった時に決まった東京書籍の教科書を前例踏襲ということでずっと使っている。それを読んだ子供たちはどうしても反日的な考えかたになっていくと思います。以前、未来塾で講演なさった先生がいましたが、南京事件とシベリア抑留の二つを例にとっても、南京事件についての記載を見ますと、東京書籍はこうです。「日本軍は同年末に首都南京を占領しました。その過程で女性や子供を含む中国人を大量に殺害しました。この事件は南京大虐殺として国際的に非難されましたが、国民には知らされませんでした」というのが東京書籍の教科書です。扶桑社は、「この時日本軍によって中国の軍民に多数の死傷者が出た。尚、この事件の犠牲者数などの実態については資料のうえで疑問点も出され、様々な見解があり今日でも論争が続いている」というような内容になっています。純真な、純白な子供達ですので、こうして読むと、私たちのおじいちゃん達はものすごく悪いことをしたんじゃないかという気持になると思うんですよ。扶桑社は私の見方に近くて、もっと調べてみないとわからない、今後検討が必要であるという記載になっております。

 GHQの教育局と文部省と日教組と、私は三者に共通の責任があるんじゃないかと思います。それほど私たち日本人を、戦争をしたアメリカ人は逆に怖い。だから二度と戦争を起こさないように、戦争をしないように、日本と戦争をしたくないという気持が先走ったんだろうと思います。私たちの国文学の分野でいえば、たとえば曾我兄弟の仇討ち物とか赤穂浪士の仇討ち物というのは、昭和25年代まで全面上映禁止でした。大変なことです。アメリカ人の気持も分からんではないと思っています。それほど私たち日本人の文化をある面では勝った側が恐れたと。日本人の考え方はとても純粋ですから戦争をやる方は怖かったんだろうと思います。

 それから、話は違いますが、シベリア抑留の記述についてはどうでしょうか。東京書籍はこのように書いています。「満州にいた日本軍約60万人がはシベリアで数年間強制労働させられ、6万人以上もの人たちが死亡した」と。扶桑社は、「ソ連は日ソ中立条約を破って満州に侵入し、日本の民間人に対する略奪、暴行、殺害を繰り返した。そして日本兵を含む約60万人の日本人をシベリアに連行し、過酷な労働に従事させ、およそ一割を死亡させた」と記載してあります。小さい時から、戦後は偏った歴史教育を受けて育ったわけです。

 それからもうひとつ、皆さん方に話したいことは「冬の夜」という歌を知ってますか。私の好きな歌だったですね。「燈火近く衣縫う母は春の遊びの楽しさ語る」こういう日本の農村の暖かい冬の情景を歌った歌がありますよね。私が言いたいのは次の2番目の歌なんですよ。「囲炉裏の端で縄なう父は」いろりの側で縄をなう父は「過ぎし戦の手柄を語る」というのが原文なんですよ。どこで、中国の奥地でこんなことがあった、あんなことがあった、猛攻撃を受けて苦労したという話をお父さんが話すわけですね。「過ぎし戦の手柄を語る。居並ぶ子供はねむさを忘れて耳を傾けこぶしを握る」と。お父さんも頑張って戦ったんだねと子供たちはこぶしを握ると。「囲炉裏火はとろとろ外は吹雪」。お父さんの思い出話を子供たちにして、子供たちが興奮して握りこぶしを握ったという話なんです。その過ぎし戦がいけないということで、戦後の小学校ではこんなふうになっているんですよ。過ぎし戦を取り替えて、過ぎし昔の思い出語ると、そんなぼけた表現になっているんです。そしたら何で子供たちはこぶしを握らんといかんのかという矛盾が起こってくるわけです。皆さん、お孫さんの教科書を見て怒りを感じてくださいよ。これはね、やっぱりおかしいですよ。楽しい思い出だったら子供はこぶしを握らなくてもいいじゃないですか。

 先ほど言いましたが、教科書の選定問題でも教育委員会が寝ぼけているもんですから、いつも前例踏襲で東京書籍の教科書を採用しています。橋本大阪市長は教育委員会をもう要らない、廃止しようということを言ってるじゃないですか。私もそう思います。教育長、宮崎市の教育長、私の故郷の新富町にも教育長がおりますが、こういう教科書問題を話しても分かってもらえない人たちが教育長になっている感じがするんですよね。ですから、教育現場にも新風といいますか、新しい教育感覚を入れないといけないのじゃないかと私は素直に思っておりますが皆さん方はどうでしょうか。

 それから話を本題に戻しますが、この資料に登場してくる人物は私の好きな人ばかりです。江橋慎四郎という人は学徒動員の人、それから仲宗根政善先生というのはよくひめゆり部隊のテレビ映画に、優しい先生で出てきます。それからパール判事。この人は東京裁判に於いて、こういう裁判というのは勝者が敗者を裁く裁判で好ましくないと言っております。山中貞則という素晴らしい政治家が鹿児島県におられました。その人の歌は先程紹介しました。それから二階堂進さんは私の命の恩人といいますか、鹿屋体育大学を誘致した人で、鹿屋体育大学の後援会長をなさっておりました。それから上杉鷹山。ケネディーというアメリカの大統領が大統領になった時に、日本人記者が日本の政治家でどなたを尊敬されますかと質問したら、上杉鷹山とはっきり言ったそうです。なぜなら米沢藩の藩政を立て直した立派な人であると言っております。それから小沢治三郎という人は皆さんあまり知らないと思いますが、最後の連合艦隊司令長官です。山本五十六さんの次の次の人で高鍋出身なんです。この人の親戚が小沢さんという今の町長です。

 それからルースベネディクト、この人はアメリカの社会学者で、日本とアメリカが戦争を始めた時に、アメリカ人は日本人の考え方がわからない。だから特攻作戦なんかもアメリカの予想しなかった戦争だった訳ですよね。自分の命を捨ててぶつかってくると。ですからケネディーはあの特攻隊の兵士たちをとても尊敬するというような意味のことを言っております。アメリカ人にはない考え方であるということをですね。

 次の福沢諭吉という人は「学問のすすめ」という本の中で、とにかく学問をしなさい、自分に合った学問をしなさい、実学をしなさいと。そして人間は生きていかないといけないと言っております。映画「月光の夏」は、私はよく学生に見せていたんですが、二人の特攻隊員がピアノを弾いて出撃していくという話で、美しい映画だなと思います。本居宣長という人は万葉集の注釈を出した人ですが、日本人のハートを一体どういう風にして表したらいいかということで「敷島の大和心を人問わば朝日に匂う山桜花」。まさにいい言葉です。「敷島の」、これは枕詞です。さっきの「たらちねの母」のように、「敷島の」といえば必ず大和という言葉が続きます。「敷島の」、島を敷いたような日本、日本人の心というものを外国の人から聞かれたならば「朝日に匂う山桜花」。朝露を浴びてまさに今から咲こうとしている山桜花、これが日本人の心ですと。さらっと、そして美しくてパーッと散っていく、これが日本人のハートであると言っています。契沖という人は万葉集の注釈をやった人です。

 そろそろ結論の話になりますが、私たちの世代まではとっても美しい日本人の心がずっと生きていたんじゃないかと思うんですよね。それぞれの家では、おじいさんやおばあさんがおって、人に悪いことをしてはいけないよとか、お前達はそんなことをしたら死んだ後地獄に落ちるんだぞとか、人に迷惑を掛けないようにとか、そういうことをいつも気にして生きてきました。しかし今の日本の社会を見ますと、額に汗をして働くということを日本人は美徳としなくなったんじゃないかと。あのホリエモンが登場した頃から日本はおかしくなったのではないかなといつも思うんです。とにかくお金持ちが一番最高であるというような考え方、拝金主義と言いますか、そういう考え方が日本人を駄目にしたのかも知れません。

 それから、私は中学時代だったと思いますが、これはTBSで放送され、映画にもなったんですが、「私は貝になりたい」という、フランキー堺さんが主役で新珠美千代さんが奥さん役で出てきておりました。南国土佐を舞台にして、名もない散髪屋さんが主人公で、そして戦争に引っ張られて、弾が当たって落ちてきたアメリカ兵を刺せという上官の命令を素直に受けて、それをやったお蔭で巣鴨にBC級戦犯として収容されて、そして処刑される。処刑される時に「私は貝になりたい」と。もう海の底に沈んでる貝になれば戦争なんか巡りあわなくてもいいんだと、平和に暮せるんだということを言って死んでいく場面がとっても印象に残っています。

 こういう日本人の生き方ですね、皆さん方は、A級戦犯だけを頭の中に描いておられるでしょうが、たった7人の処刑ではなくて988名のBC級戦犯も巣鴨で処刑されております。その中には私の遠縁に当たるものも入っております。プリンスホテルの場所が巣鴨の刑務所の跡なんですね。だから私は東京に出張の時に、あそこにだけは、いくら部屋が無くても泊まらない。私たちの同胞が処刑されたんだと思うと泊まりたくない。そういうことで日本人というのは本当にお人好しといいますか、純粋といいますか、ある面では国際感覚が無い、今の教育の間違った点を何ら気付こうともしない、これは大変な私は間違いであると思う。そうかといって、我々一大学教授が立ち上がって、民間教育臨調なんかに入っても、教育基本法の一部は突き上げて国会で通りましたけど、なかなか国全体を動かす力にはなれません。だけど私達はあの時代を生きて、いかに戦争で亡くなった人たちが純粋な気持で亡くなられたのか。英霊に対する尊敬の気持を死ぬまで私は持ち続けて生きていきます。私はどんなに忙しくても8月15日には必ず宮崎の護国神社に参っています。東京出張の時は靖国神社に必ず参っています。そういう気持をみんなで持ち続けて、もう一度日本を立派な国に発展させて、次の世代にバトンタッチしていくささやかな原動力になればいい、捨石になってもいいと思っております。

 今はやりのジェンダーフリー、そういう言葉は私達の時代にはなかったんですが、ジェンダーフリーというのは、男女平等、男と女の垣根は全部取り払って平等じゃないといけないという考え方です。ですからこういう考えの人達は、昔話があるでしょう。おじいさんは山に芝刈りに、おばあさんは川に洗濯に・・・こういうのも否定するわけです。なんで女の人が川に洗濯に、男が山に芝刈りに行くのか。しかし、日本の社会はそれで平和にずっとやってきたわけでしょう。そういう日本にはよき家庭の習慣があるんですが、あたかもジェンダーフリーとか、グローバリゼーションとか、いろんな流行の言葉がありますが、私はそういう考えはどうも好きになれません。私などはそういう人間として一生を終わっていくんですが、それでいいと思っています。ささやかに日本の改革を願っておりますし、子供たちがもっと明るく楽しく育ってもらいたい。ベトナムの影像など見ていると、決して日本ほど豊じゃないけど子供たちの目がきらきらきらきら光っていますよね。かつての私達の少年時代のあの目つきと一緒ですよ。私たちの少年時代は貧しかったけど明るい顔をしておりました。今はとっても暗い日本になりつつあるなと心配しております。社会の構成員の一人として今後も頑張りたいと思います。今晩はほんとにご静聴有難うございました。

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2012年11月 3日 (土)

石原新党誕生

 たちあがれ日本の拡大支部長会議に出席して来ました。報道されているように、たちあがれの発展的解消と石原さんを代表とする石原新党を立ち上げる事が決定されました。 維新の会との連携等に小異を捨てて大同につくことも確認されました。私は最後の頑張ろう三唱を指名されたので以下のような発言をして頑張ろうを発唱しました。

 「石原都知事の決意をお聞きして勇気と、やるぞというファイトが湧いてきました。 私は石原さんが言われた薩長連合の片方、薩摩の出身ですので石原さんの気持がよく分ります。まさに日本を救うために小異を捨てて大同につかなければなりません。第三極にとどまらず、第一党となって日本を引っ張っていかなければなりません。  

 今、保守という言葉は若い人には分かりにくくなってきました。私達はこれからは広く国民全体の支持を受けた「国民政党」であり、日教組や自治労といった一部の労働組合に支えられた「組合政党」と違うということを訴えるべきだと思います。そして新党の出発点として、「日本人としての自信と誇りを取り戻す」国民運動を起さなければなりません。日本列島を覆う閉塞状況を打破し、明るい日本を作るためにみんなで力を合わせて頑張りましよう。」

 私は維新とは特に外国人参政権やTPPについては反対の立場です。しかし、憲法改正や原発、消費税については十分詰められると思っています。何より、歴史観と国家観を共有できることが連携の基本です。そして、石原さんと橋下さんが共に主張される官僚支配を打破する事でまとまればいい。

 私は今の日本は「官僚独善体制」になっていると思います。官僚バッシングに続く民主党の脱官僚、政治主導によって、官僚達が指示待ち人間になり、最低限責任を問われないように自己保身に走っています。昔のように、国家を背負っているという矜持と責任感を持った官僚が少なくなっているように思います。

 日銀は現下の超円高をどう考えているのでしようか。円が高いというのは自分たちの手柄とでも思っているのかもしれません。今、実力不相応の円高で日本の企業は青息吐息、大赤字を出し、大量解雇、海外進出を考えざるを得ないところに追い込まれています。今はいくら金融を緩和しても民間は設備投資や業容を拡大しようという気運は生れません。日銀は前から私が言っているように、円を守って国を滅ぼしかねません。

 財務省も入るを計って出ずるを制すという均衡財政に拘り、歳出削減と増税に前のめりになっています。財務省としては当然考えなければならない事ですが、この経済悪化のなかでは日本経済の命とりになりかねません。景気を良くし、インフレ基調にして、税収を上げるほうがずっと財政状況は好転します。

 それにしても、大蔵省を財務省と金融庁に分離したのは失敗でした。財政と金融が一体となって景気対策はやるべきなのです。武藤日銀総裁誕生を財政と金融の両方を経験しているから「財金分離に反する」と言って反対した当時の野党民主党の馬鹿さかげんには今でも腹が立ちます。日銀総裁こそ、財政と金融のエキスパートであるべきで、もっといえば、世界経済も世界政治も一番よく分かった「ブライテスト」な人物でなければなりません。来春には総裁の任期がきます。今度こそ武藤日銀総裁の誕生を期待するゆえんです。

 石原さんのお話の中で、特に興味深かったのは日本の国を守るという強い決意でした。戦前の通州事件に言及され、自分の孫達が中国によってチベットやウィグルの子供達のように、残虐に殺されるのは絶対に許されないと言われました。世界制覇を狙う中国の意図をしっかり認識し、日米安保体制を堅持し、日本の自主防衛体制を強化することが急務です。オスプレイ反対の沖縄に中国から大量の資金と人員が投入されている事実を知らなければなりません。今の中国は二世紀遅れの帝国主義国です。反日愛国教育で育った世代が大層を占めるようになって、まさに日本危うしです。

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