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2012年10月

2012年10月25日 (木)

私達は忘れまい

 先日、宮崎在住の池田明義さんという方が亡くなられた。享年87歳、中央アジアのウズベキスタンで3年間抑留生活を送られた方である。シベリア抑留60万人といわれるが、極東ロシアだけでなく、遥か西方のウズベキスタンやキルギスタンまで送られ、強制労働に従事させられたたくさんの日本人がいた。ウズベキスタンにも約2万人、うち千人以上の方々が帰国の夢を果たせぬまま異国の土となられた。
 
 終戦直前に日ソ不可侵条約を破棄して満州に攻め込んできたソ連軍によって、捕虜にされ、、貨物列車に詰め込まれ、一ヶ月以上かけて、家畜以下の扱いで運ばれて行ったという。
 
 ウズベキスタンでは道路建設やアパートの建築、砂漠に運河を掘り、水力発電所も作った。私も見に行ったが、この発電所は今でも稼働していて首都タシケントに電力を供給している。ナボイと呼ばれる国立のオペラ劇場も作った。この劇場は1966年、タシケントを襲った大地震で殆どの建物が崩壊した中に無傷で残り、今も立派に使用されている。

 抑留者たちは朝早く隊列を組んで宿舎を出、夕方もきちんと整列して帰っていた。強制労働でありながらも、同じ敗戦国ドイツからの抑留者は定刻になるとさっさと作業をやめて帰ったが、日本人たちは作業が一区切りつくまで働いていたという。

 砂まじりの黒パン一切れとスープとか貧しい食事で痩せこけた日本人を見かねて、現地の人が食べ物を宿舎の入口にそっと置いておくと、翌朝、子供のオモチャなどがお礼に置かれていたという。ウズベキスタンも又、1991年のソ連崩壊まで永年ソ連の支配下に置かれていたのである。

 1999年、家内がウズベキスタン大使として赴任したので私も2度訪問したが、その時聞いた話で、ウズベキスタンでは正直で有能、勤勉な人に「日本人」というあだ名を付けるという。それほど日本人抑留者は苛酷な環境の下でも強烈な印象を現地の人に残した。

 家内が3年間大使でいる間に、宮崎からチャーター便3便で約500人の方にウズベキスタンを訪問してもらった。その第2便に池田さんが乗っておられた。池田さんはタシケントについて直ぐに中山大使に、「一日別行動をさせてほしい、戦友達が眠る墓地をどうしても訪問したい」とお願いされた。大使は車と通訳をつけて送り出し、帰って来られた池田さんから抑留のことを詳しく聞いた。

 「ウズベキスタン国内に10箇所近い日本人墓地が荒れ放題で残されている。なんとか整備したい。そうでないと死んでも死にきれない。」涙ながらの池田さんの話を大使から聞いた私は、日本国内で募金活動を始めた。抑留体験者をはじめ全国から瞬く間に2千万円を越える献金が集まったのでウズベキスタンに送った。中山大使はその金を持ってウズベキ政府に墓の整備をさせて欲しいと申し入れた。ところが、ウズベキ政府から、その仕事は自分たちにやらせて欲しい。実はモスクワからは日本人の墓を全部取り壊せという命令が来ていたが、我々はそれを無視してそのまま残しておいた。当然自分達がやらなければならない仕事なのだといって受け取ってもらえなかった。そこで、皆んなで相談してウズベキの子供たちにパソコンとか学用品を贈ることにした。

 この献金活動に終始先頭に立って頑張られたのが池田さんであった。池田さんから、「自分達ははるか東方に聳える万年雪をかぶった天山山脈を望みながら「ダモイ」(帰国)の日を待ち望んでいた。そして、もう一度満開の桜の花を見たいと話しながら強制労働に耐えていた」という話を聞いた私は、「日本桜の会」に頼んで桜の苗木を送って墓地の周りに植えてもらうことにした。桜は弱酸性の土壌に合うが、ウズベキの土はアルカリ性なので、土壌改良から始めなければならなかったが、幸い当時日本から農業指導にウズベキに派遣されていた日本の農業技術者がおられて助かった。

 桜の話を聞いたウズベキ政府から、大統領官邸をはじめ中央官庁やタシケントの目抜き通りに植樹して欲しいという話になり、結局日本から送った苗木は1900本にもなった。あれから9年、桜木は大きくなり、毎年3月半ば、日本より少し早く満開になる。ワシントンのポトマックの桜には及ばないが、タシケントの市民に親しまれているという。

 墓地整備の完成式を日本からウズベキ議員連盟の会長 麻生太郎先生をはじめたくさんの人達に参加してもらって盛大に行った。式の終り近く、誰からともなく抑留者がよく歌っていたという「ふるさと」が歌い始められ、強烈な日ざしの中で、汗と涙で顔中がくちゃくちゃになったことを思い出す。

 大正13年生まれの池田さんは帰国後、池田木材という会社を立ち上げられ、永年経営された。20歳前後で抑留され、苦労して帰国された方々も90歳近くになり、だんだん少なくなっている。韓国や中国からは日本に強制連行されたとか、従軍慰安婦の補償を求める訴訟などがまだ続いている。日本人にはソ連に連行され、強制労働させられた補償をソ連に求めることなど考えも及ばなかった。抑留者の皆さんはその過酷な運命に人生を狂わされながらも、戦後を必死に頑張ってこられた。そしてたいした補償もしなかった祖国を恨むこともなく静かに亡くなっていかれる。私達はそうした人々のことを永遠に忘れてはならないと思う。池田明義さんのご冥福を心からお祈り致します。

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2012年10月18日 (木)

最悪のときに最低の政権

 10月1日に内閣改造して3週間が過ぎようとしているが、野田内閣はまだ国会を開いていない。これまでは、内閣改造すると臨時国会を開いたりして所信表明やそれに対する質疑応答を行って、自分の内閣はどういう方針でどういうことをやろうとしているかを国民の前に明らかにしてきた。現在たいした問題が無ければ、少しは間が空いてもいいのかもしれないが、問題山積の今の日本である。国会を開かないのは野党から厳しく追及される問題が多く、「近いうちに」と言った解散を迫られるのが怖いからだろう。

 前にも書いたが、この政権は1日でも長く政権の座に留まることが至上命題であり、民主党議員は1日でも長くバッチをつけていたいのが本心だ。その為にはどんな手段を使ってでも解散総選挙を先延ばしするだろう。

 田中法務大臣は外国人からの献金だけではなく、暴力団との付き合いが報道されている。とんでもない話だ。拉致被害者家族を遺族と言われたのでは家族はたまらない。19兆円の臨時大増税で東北大震災の復旧、復興を進めるはずの予算が捕鯨船の建造や税務署の改築、沖縄の道路改修等に使われているという。国民が怒るのももっともだ。脱官僚といい政治主導を唱ってきたが、勉強不足、経験不足の民主党議員など百戦錬磨の官僚達に掛れば、赤子の手をひねるようなものだ。まさに国民不在の政治がまかり通っている。

 そもそも、組合出身の政治家は、票と金を組合が出してくれるので、身内の組合員だけを見ていればいい。今、離党を防ぎ、党内のとりまとめが最優先の民主党には日教組出身の輿石氏が最適役なのだ。口蹄疫で大変な目にあった宮崎県だが、愛知県の組合出身の赤松農林大臣は遠い宮崎県の農民のことなどどうでもよかった。国民の生活が第一と言うのは、国民の生活など何も考えていないことの裏返しのように聞こえる。平和とか福祉、人権など、誰も反対できないようなスローガンを恥ずかしげも無く掲げる政治家や政党は要注意だといつも思う。

 先般の山中伸弥教授のノーベル賞受賞は快挙だった。私共、清和政策研究会は、6、7年前にアメリカから帰国早々の山中教授を研修会に招き、iPS細胞の話を聞いた。そして予算面で出来る限りの協力を約束し、増額した。しかし、民主党政権になってあの事業仕分けで削減された。今度の受賞でまた大増額するという。まったく何をしているのか。復興予算も事業見直しをするというが、自分達で作った予算ではないか。一方では景気悪化に対応して緊急経済対策を策定するという。事業見直しで削られる事業がまた復活するということになるのだろう。国民の目を惑わす手法がいつまでも通用する筈がない。復興予算の中に経済産業省が3,000億円近い予算規模で国内企業の立ち直り支援をすることになっているが、それより、超円高を是正する方が企業にとってはずっと助けになり、効果がある。予算も要らない。

 iPSといえば、山中教授の快挙に水をさしたのが森口尚史だ。風貌、言葉使いから本当に日本人かと疑ってしまう。なかなか自分の非を認めない鉄面皮も日本人には珍しい。今マスコミを騒がせている大量殺人の角田容疑者も日本人らしくない。日本人はあそこまで冷酷非道にはなれない。

 若い頃アメリカに住んでいたが、アメリカは人種の坩堝といわれ多民族が共生していた。その中で東洋人は一括くりだったが、自分はチャイニーズアメリカン、自分はコーリアン、自分はジャパニーズと堂々と民族を明らかにして暮らしていた。日本ではそれを言わず、また、通り名も通用するので何国人か分らない。いわゆるなり済まし日本人も多い。これが日本の一番の不幸だ。もっと堂々と自分の出自を明らかにし、マスコミもそれを徹底するようにすると、日本はもっとすっきりした住みやすい国になるのではないか。よく問題になる外国人献金も本名で出せばチェックしやすくなる。

 東北の復興も進まず、日本全体も急激に景気が冷えてきた。近隣諸国は日本の領土に対する野心を隠そうともしない。中国人がどんどん入国している。最悪のときに最低の政権を戴いている日本民族の悲劇。

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2012年10月13日 (土)

少年サッカー大会に参加して

 今年も好天に恵まれて6、7日の二日間、宮崎市の県総合運動公園でピーターパン杯少年サッカー大会が開かれた。主催者は私の小林の三年後輩に当たるお菓子のピーターパン社長の原和洋さん。今年は第26回目、自分の子供がサッカーをやっていたということから始めて26年、よく続けて来られたものだと思う。まさに継続は力、今ヨーロッパで活躍中の清武選手やJリーグで頑張っている現役選手も沢山この大会に出場していた。

 私も第十回大会から毎年招待されて開会式で挨拶をしている。続けてきた原社長も偉いが、それを最初から実質取り仕切ってきた実行委員長の徳沢さんには敬服する。ちなみに、今年は市内外から54チーム参加、サッカーブームもここまできたかと改めて感心する。

 各チームを指導する監督、コーチに聞くと、週5日は練習するという。自分の時間を全て、時には仕事も犠牲にすることもあるだろうと思うが、自分がサッカーが好きだということ、そして子供たちが一生懸命練習し、少しずつでも上手くなる事が無上の喜びとのこと。ただただ頭が下がる思いである。サッカー以外でも、野球や空手、剣道など町道場やグランドで一生懸命指導している人達がいる。この人達を報いる方法をもっと考えなければいけないと思う。

 サッカーでも女の子が増えてきたのは「なでしこジャパン」の活躍のせいか、体格的にも技術的にも見劣りしない。六年生以下と三年生以下に別れて試合をしていたが、三年生以下の子供たちも結構上手い。

 60年前、私が小、中学生の頃は、冬の寒い時も裸足でボールを蹴っていた事を思い出したが、会場の宮崎県総合運動公園は、野球からサッカー、ラグビー、陸上、武道館などなど広い面積に立派に整備されている。聞けば昔は海岸の雑草の繁る湿地帯だったとか。サッカー場も天然芝できれいに手入れされている。サッカーは貧者のスポーツといわれるように、途上国でも子供達が小さな広場でボールを蹴って遊んでいるところによく出くわす。宮崎はこんな良い環境で試合ができて子供達は本当に幸せだ。

 私は挨拶の中で、たとえサッカーで名選手になれなくても、子供の頃体を鍛えておくことは大人になって仕事で苦しい時など必ず頑張る力になる。また、サッカーで身に付けたチームワークは共同作業の中で必ず生かされると話した。保護者も沢山来ていたが、夫婦連れが多い。ワシントン在住の時、子供が地元のサッカーチームに入っていて、妻が休みの日に送り迎えしていたのに、私はゴルフに夢中で家庭サービスの足りない父親だったなと反省する。

 若い親たちが一生懸命応援している様子を見て、自分の中学一年生の時のことを思い出した。ソフトボールが得意だった私は、入学早々、母親に野球部に入りたいと頼んだが、母は「家にはグローブやユニフォームを買うお金はない、お前が野球部に入って夕方遅くなったら誰が牛や馬の世話をするんだ」と言って許してもらえなかった。その頃の農家は子供たちも貴重な労働力だったのだ。

 厳しい現実(?)を認めざるを得ず、放課後、野球部の選手達が大声を出して練習しているのを横目で見ながら下校していた。悲しかったが、子供の希望を拒否せざるを得なかった昔の母親の辛い気持を今は思う。その母も91歳、いつもは弟夫婦と住んでいるが、昨日から諏訪に住む末娘の所へ行った。小渕沢に住む長女の所にも訪ねて行くという。歩行が困難だがよく行く気になったなと、その前向きな姿勢に驚く。今朝何を食べたかを忘れても、昔の事はよく覚えている。今頃は久し振りに昔の話で盛り上がっていることだろう。長生きして欲しいと思う。

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2012年10月 3日 (水)

田中文科大臣を危惧する

 民主党の代表選挙で野田総理の再選が決まり、自民党の総裁選挙で安倍さんが逆転勝利と予想通りの結果となった。民主党の選挙は文字通り味気ないものだったが、自民党の選挙は石破氏が党員投票でどれだけ票を伸ばすか、議員票で各候補がどれくらい票を分けあうかに関心があった。又、決戦投票で石破、安倍両氏がいくら議員票を上積するかが興味深かった。

 党員票は予想通りの結果。やはり石破氏が地方をよく回っていた成果が出た。議員票もそんなものかと思った。一番の関心事であった石破、安倍両氏の上積票が石破氏55、安倍氏54という結果が面白かった。派閥間でも色々思惑が働いたと思うが、やはり議員が党員投票の結果にあまり逆らってはいけないという気持ちが石破氏に票が流れる結果になったのではないか。石破氏がもう少し党員票を稼いでいたら、小泉総理誕生の時の再現になっただろう。この微妙な塩梅が日本の将来を決める事になりそうな気がする。何年か後に振り返る時があるだろう。

 ところで問題は、第三次野田改造内閣だ。色々問題は指摘されているが、何といっても田中文科大臣の誕生には恐れいった。自身の選挙が危ないということで、輿石幹事長に頼み込んだといわれるが、不適材不適所この上ない。いじめの大将が今いじめ問題が一番の文科省に来るなんてしゃれにもならない。おとなしい文科省の役人は震え上がったことだろう。誰が秘書官になったか知らないが、一人二人ではなく、多分複数の秘書官を差し出した筈だ。彼らはまるで人身御供の心境だろう。あの外務省のプライドの高い官僚達がノイローゼになったくらいだから、文科省の官僚達はスクラムを組んで団結して戦うしかない。 

 それより、大臣の歴史認識に大きな問題がある。直前まで中国に招かれていた事でも分かるように、中国寄りの発言をすることは当然想定され、それを中国は最大限利用するだろう。それは日本の国益を損ね、致命的な打撃を日本人に与える事にならないか、心配な事だ。

 本格的な国会論戦が始まり、田中大臣の答弁がなされる前に解散総選挙をするしか、それを防ぐ手立てはないように思う。その点、早急な解散を求める安倍さんが総裁になったことはよかった。国民生活に重大な影響を及ぼすとして、特例公債法案を政争の具にするなとか、もっともらしい事をいう輩もいるが、国家存亡の時に下らない事を言うなといいたい。国民生活より国民の生命、財産、名誉を守る方が桁違いに大事な事なのだ。何度もいうが、民主党政権は日本を滅ぼす。1日も早く退陣させるためには手段を選ぶ必要はない。

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